Good evening!
まず、誤解のないように最初に断りをいれておくが
私は”他人の不幸は蜜の味”には断固反対派である。
むしろ、他人の不幸だって出来るのであれば一緒に悲しみたい派だし、
そもそも結婚する時なんかによく聞く
これからは2人で楽しみは倍に 辛いことは半分に… という文言みたいに
どちらかというと “辛さや苦しみ、不幸”の要素は減らしてあげたいと思うお節介焼きだ。笑
ではなぜ今日はこのタイトルについて言及するのか…
それは、最近周りをよく見ると、
まさに”他人の不幸は蜜の味”
がごとく振る舞っている人が割といる
世の中だなと気付いたからだ。
悲しいかな、
コンピューターの普及、スマホへの進化…
という著しいIT化が進むにつれて
年々、人々の心もどこか冷めたものになり、
小学生からはいわゆる”思いやり”がある優しい子供が減ってきている
と感じている人は筆者だけではないはずである。
それはつまり、
心の綺麗な持ち主が減ってきて、
それがエスカレートすると、
他人の不幸が恨めしく思うがゆえに、
無差別殺人を起こしてしまう引き金になったり…
という事態を招く小さな要因にさえなっているのかもしれない。
そして、そんな心の小さな人の共通点。
それは”他人の不幸は蜜の味”=自分への優越感と感じていること。
だと思うのだ。
人の欠点、悪の面を見て安心したり、
はたまた嘲笑うことを通して自分の優勢を保つ…
なんて悲しいのだろうと思う。。
この世の法則である、
“出したものが返って来る”という仕組みからすると、
この状態から生まれるのは、紛れもなく
『欠点や悪の面を見て安心される自分』だし
嘲笑った自分に返ってくるのは、もちろん
『嘲笑われる自分』なのだ。
そんな負のスパイラルから生み出されるのは
永遠に暗黒の負の連鎖だけだ。
どうせ生み出すなら、
周りが、世界が、元気になるエネルギーを作り出したい。
やはり人の”幸せ”を祈ることはあっても
“不幸”を祈ることはないのだ。
この殺伐とした現代で、
“他人の不幸は蜜の味”の間違いに気づいてくれる人が
一人でも増えると日本にも少し明るい未来が見えてくる気がする。