Good afternoon!
今日は、
以前読んだ「神・時間術」に載っていた受動的娯楽と能動的娯楽について書こうかと。
まず、それぞれ受動的娯楽と能動的娯楽とはなんなのか…
簡単にいうと、
受動的娯楽は
テレビ、やスマホゲーム、動画視聴など集中力を伴わない受け身的な娯楽を指し、
それに対して能動的娯楽は、
スポーツ、読書、楽器演奏など、集中力や身体を使い、また自己成長に繋がる娯楽を指す。
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この事実をこの一冊から得た私は、
読書をするようになってから
スマホゲームやテレビの時間が以前より激減し、
家でテレビを見る息抜きの時間をしなくなった自分に気付いた。
しかし、
一方で、
疲労困憊で外出すらしたくない時などは
集中して
見逃したドラマを見返したり、
昔から大好きなシリーズのドラマをまとめて視聴したり
することが増えた。
一見、動画視聴という点においては、
私はYouTubeなどでドラマ視聴している時間は
受動的娯楽をしていると取れるのかもしれないが、
そこには集中力があり、
一つの気分転換、または頭を休める時間として計画的に
ドラマ視聴の時間をとっている自分がいるため、
目的意識を持った動画視聴の時間は、
時と場合によっては、
能動的娯楽に近いのかもしれない。
と気付いた。
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何が言いたいのかというと、
この「神・時間術」の著者が言っていることは
最初は
なるほど、そうなんだという気付きで受容したが、
その内容を
受容し、自分に生かそうとした時に、
自分の意見で疑問が浮かんでも不思議では無いのかもしれない、
それが、
新しい気付きとして機能するのかもしれない。
ということだ。
人の意見は一意見に過ぎない、
“学ぶはまねぶ”だが、
真似した先には、
より新しい自分の意見も加わることがあるということ
を感じた。
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こんなことを書いていて気づくことは、
日々、自分でも驚くくらい、
色んなことに頭を巡らせている自分自身がいることだ。
でも、
大切なことやオンリーワンを生み出す人は、
人と違った見方が出来る人だからなのだろうとも思う。
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いい意味でも悪い意味でも、
感受性が豊かという性格を生かして、
人が気付かない所を敏感に感じ取って行きたいと思う。